3-03


9:51  詩仙堂に到着です。小有洞という門をくぐって入ります

詩仙堂は徳川家康に仕えた武将、石川丈山が寛永18年(1641年)により造営された庵です
丈山は大坂夏の陣で功を立てたものの禁令を破ってしまい、家康に戒められそれを機に
妙心寺に入信、文学を修め文人として自適の生活をおくりました。一時生活に窮乏し、広島の
浅野家に仕えるが、その後京都に戻り詩仙堂を建てました
一般にここは詩仙堂とよばれますが、本来は(おうとつか)というのが正しいよび方です
とは、デコボコの地形に造られた庵、という意味です
現在は曹洞宗大本山永平寺派のお寺さんです


垣根と石垣で覆われ内部が見えないようにする手法です


老梅関という中門


拝観受付です。500円。内部の撮影はNGです


書院から見る南庭です


さつきの刈り込みが山なみを表しているそうです。白砂は大海


鮟鱇(あんこう)の手水鉢とよばれるもの
白砂は大海を表しているので海のものの名称が付いているらしい


こちらは東庭


この手水鉢にも水が張られていないですね
夏の画像では張られているので冬バージョンなのかしら?
この下の小川を(りゅうようはく)といいます、意味は「浅い流れ」


の上流には洗蒙瀑(せんもうばく)という滝。庭内に心地よい響きをもたらします



ここまでが建物からの眺め。このあとはクツを履いて下のほうの庭園を見ます


左周りに回り込んでいきます


下のほうの庭園に出てきました。かつて百種の花が植えられていたという百花塢というところ


ここを上がると上の庭園に出ることができますが上の人が驚くと
いけないので顔を出すのはやめとく


ポコン!と鼓を打つような音が上でも聴こえたのでなんだろうと思ってたら
鹿おどし(僧都)でした。本来はその音で鹿や猪を追い払いものです
よく見られますがここのがいちばん古いともいわれています


こうやって水が溜まると頭を垂れて水を吐きまた頭を上げます
ボイスレコーダーを持ってたんだから録ればよかったな


下のお庭が意外なほど広いです


いいかんじの手水鉢。下の手水鉢には水流してるのね


もうひとつあります。たまりませんなあ


残月軒という茶室


これはなんだっけかな、茶室みたいだけど


これは十方明峰閣という坐禅堂


さて出ようか

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